『日本神話の源流』吉田敦彦

(檀君神話と天王郎神話)

三種類の社会的機能

アマテラスの誕生

溝口睦子先生の『アマテラスの誕生』(2009年)によると、わが国の「天孫降臨」神話とは、広く北方ユーラシアを含む北東アジア世界で共有されていた「支配者起源神話」、つまりは王の出自が「天」に由来するという政治思想を、5世紀初頭に高句麗から輸入したものだという。


そしてその根拠は、高句麗とわが国の建国神話が「全体の枠組みだけでなく、細部にいたるまできわめてよく似ている」からだと、溝口先生はいう・・・。


もちろん、わざわざ取り上げてるのは、ぼくがその説に全く同意できないからで、これまでも何度か反論めいたことを書いてきた。

ただ、いいかげん細けぇ話はいいんだよ!という声も聞こえてくるので、今回は「よく似ている」とされる「全体の枠組み」について。

日本神話の源流

神話学者・吉田敦彦さんの『日本神話の源流』(1975年)によると、インド=ヨーロッパ語族の古い文化には、共通した「三種類の社会的機能」が見られるという。


その内訳は「主権者=祭司」「戦士」「生産に従事する土着の庶民」の三種類で、インドのヒンドゥー教にもイランのゾロアスター教にも、ヨーロッパ各地の神話にも、それらは決まって登場するそうだ。

で、もうお分かりのように、われらが日本神話にもそれらは共通する。 

言うまでもなく「主権者=祭司」はアマテラス、「戦士」はスサノオ、「生産」がオオクニヌシだ。


どうやら、ある一定以上の精神世界に到達すると、世界のどこでも同じように「三種類の社会的機能」を持つことになるようだ。


じゃあ、溝口先生が日本より「上流」にあるという朝鮮神話にも、その構造はあるんだろうか。

『三国遺事』の「檀君神話」

三国遺事

13世紀(鎌倉時代)に書かれた『三国遺事』という史書に登場する「檀君(だんくん) 神話」は、天帝の子「桓雄」が地上に降臨してくることから、日本神話との類似が語られることが多い。

まずは短い「神話」なので、全訳を丸ごと引用してみる。

『魏書』によると、今から二千年前に檀君王倹が現れて、阿斯達〔経』によると無葉山、または白岳といい、自州の地にある。あるいは開城の東という。今の白岳宮のことだ〕を都とし、国を開いて朝鮮と呼んだという。

高(筆者注=中国の古代伝説に出てくる五帝の一人である「尭」のこと。東洋の近世までの文筆習慣で、自国の王の諱=没後の諱号=にある字を避けて別の字で表記した)と同じ時代だ。


「古記」によると、むかし桓因〔帝釈(天帝))ともいう〕の庶子である桓雄はしばしば天下に思いをめぐらしては、人間社会を非常に欲しがっていた。

父は子の心を知り、三つの高い山の一つである太伯を見下ろし、人間に益を広めるべしと結論した。そこで桓雄に天符印三個を授け、人間社会を治めに行かせた。 


桓雄は歩兵三千を率いて、山頂〔即ち太伯山、今の妙香山〕の神檀樹の下に降りた。ここを神市と言い、これが桓雄天王だ。

風の神、雨の神、雲の神を将いて、穀、命、病、刑、善、悪など、およそ人間の三百六十余事を司り、人間を教化した。


時に、 一頭の熊と、 一頭の虎が同じ穴に住んでいて、人になることを願い、桓雄に向かって常に祈った。

ある時、桓雄は霊験あらたかな艾一束と蒜二十個を与え、「お前たちがこれを食べ、日光を百日見なければ、人の形になれるだろう」と言った。熊と虎はこれを食べ、忌むこと二十一日(訳註=三×七の意))で、熊は女身になった。虎は忌むことができず、人身に変われなかった。


しかし、熊女と結婚する者はなく、熊女は檀樹の下に来ては孕むことを願った。そこで桓雄が人に化けて熊女と結婚し、子を産んだ。それが檀君王倹だ。


檀君は唐高(尭の即位から五十年の庚寅〔唐高の即位元年は戊辰であり、五十年なら丁巳であり、庚寅ではない。本当のところは解らない〕、平壌城〔今の西京(訳註=今日の平壌のこと)〕を都とし、初めて朝鮮と称した。

やがて都を白岳山の阿斯達、弓〔方〕忽山、今爾達へと移した。その国は一千五百年続いたという。


周の虎王(訳註=諱の関係で、武王のこと)が即位した己卯、箕子(訳註=殷王の親族に当たる賢者)を朝鮮の支配者に任ずると、檀君は蔵唐京に移り、後には阿斯達に隠れ戻り山神になった。没した時は千九百八歳だった。

(『日韓がタブーにする半島の歴史』室谷克美/2010年)

んじゃ、ここに「三種類の社会的機能」があるかと探せば、「主権者=祭司」は「桓雄」でいいとして、「戦士」は・・・「虎」か?

んで「生産」は・・・「熊」か?


笑っちゃ悪いが、結論だけ言えば、朝鮮の神話にはインド=ヨーロッパ語族や日本のような、高次元の構造は存在しない。

あるのは、日本神話ではごく一部に過ぎない建国神話 (の短いやつ)だけで、創世神話もなければ、神々の世界も出てこない。


これ、ほんとに朝鮮が「川上」で、日本が「川下」だといえるんだろうか。


むしろ、ギリシャやイランの神話とも類似している日本神話こそが「川上」で、朝鮮神話は後からその一部を借用した「川下」である可能性だって、あるんじゃないだろうか。

「天王郎」の神話

せっかくなので、溝口先生が「細部にいたるまで、きわめてよく似ている」と謳い上げる高句麗の建国神話「天王郎(解慕漱)」も、引用したい。

出典は『日本神話の源流』。

天帝の太子解慕漱(かいぼそう)は、父の命により扶余(松花江流域)王の旧都に降ることになり、自分は五竜車に乗り、百余人の従者を伴って熊心山上に降下した。

彼は頭に鳥の羽の冠を戴き、腰には竜光の剣を帯び、毎朝、天から降りてきて政事を聴いては、夕方にまた天上に帰って行った。これが世にいう「天王郎」である。


そのころ、城の北を流れる青河の河の神に二人の娘があったが、天王郎はある日、容姿艶麗なこの姉妹たちが、青河から出て、熊心淵のほとりで遊びたわむれているのをみて、左右の者に、「彼女らを妃として子を得たいものだ」といった。

しかし河の神の娘たちは、天王郎の姿を見ると、あわててまた水中に姿を消してしまった。

天王郎が落胆していると、左右の者が彼に、「大王様、どうして宮殿を造り、あの女たちが中に入ったところで、戸を開めておしまいにならないのですか」と進言した。

天王郎はうなずいて、さっそく手に持っていた鞭で地面に画くと、たちまち銅室ができ、壮麗な宮殿が空中にそそり立った。

天工郎はこの部屋の内に席を設け、樽酒を置いて、河の神の娘たちを招待して宴を張り、彼女たちが酔ったところを見すまして、突然出口を遮り捕らえようとした。

娘たちは驚いて逃げ去ったが、長女の柳花だけは逃げきれず、天王郎に掴まってしまった。


河底に逃げ帰ってきた二人の娘たちからこのできごとを聞いた河の神は、たいそう怒ってすぐに天王郎のもとに使者を送り、「あなたはいったい何者ですか。なぜわたしの娘を引き止めて返さぬのですか」と抗議させた。

天王郎はこれに対して、「自分は天帝の子であり、この乙女と結婚したいのです」と返答すると、河の神はまた使者を介して、「あなたが本当に天帝の子ならば、なぜわたしに娘との結婚を正式に申しこまず、いきなり娘を捕らえるような失礼なふるまいをされたのですか」と非難させた。

天王郎は自分の行ないを深く恥じ、結婚の申しこみをするため、河の神のところに行こうと決心した。


彼は、天から五竜車を呼びおろし、柳花とともにこれに乗って風雲を起こしながら河の神の宮殿に到着した。

河の神は天王郎をていねいに内に招き入れ、座に着かせると、彼に「天帝の子であるといわれるあなたは、それを証明するような神異を示すことができますか」と尋ねた。

そして天王郎が、「どうぞ存分にお試し下さい」というと、河の神はたちまち一尾の鯉と化して、池の波間を泳いでみせた。

すると天王郎はすかさず獺(かわうそ)に変身してこの鯉を捕らえた。

つぎに河の神は鹿となって走って逃げたが、天王郎は豺(やまいぬ)になってこれを追い、最後に河の神が雉になって空に舞い上がると、天王郎は鷹となってこれを攻撃したので、河の神もついに天王郎がほんとうの天帝の子であると知り、娘と正式に結婚させた 

そして祝宴を催し、天王郎に七日たたねば酔いが醒めぬ洒を勧め、彼を大酔させておいて、酔いつぶれた天王郎を柳花とともに小さな革の興に入れ、竜車に乗せて界天させようとした。


しかし竜車がまだ水の外に出ぬうちに、天王郎は酔いから醒めた。

そして柳化が頭に挿していた黄金のかんざしを取って、興に穴をあけ、そこから一人で天に昇っていってしまった。


河の神は、柳花が自分の教えに従わず、家名を辱じめたといって激怒した。

そして左右の者に命じて、彼女の唇をしばって三尺もの長さに引きのばさせ、奴婢二人だけをつけて、太伯山の南にある優渤水という沢に追いやってしまった。


あるとき、この沢で魚を捕って暮らしをたてていた扶雛(ふすう)という名の漁師が、東扶余の国王の金蛙に、「ちかごろ梁(やな)の中の魚を盗む者があるのですが、なんの獣かわからず困惑しております」といって訴えにきた。

金蛙はそこで漁師たちに命じ網を引かせて、この魚泥棒を捕らえさせようとしたが、網を破られたので、つぎには鉄の網を使ってようやくこれを捕らえ、引き上げてみると、網の中から石の上に座った女が現われた。

この女は唇が長くて、ものをいうことができなかったが、金蛙が部下に命じて唇を三たびにわたって切らせると、ようやく口がきけるようになり、自分は天帝の子の妃であると名のった。


金蛙は彼女を別宮に連れていかせ、部屋の中に幽開しておいた。

ところが彼女は窓から差しこむ日の光によって懐妊して、やがて左脇から五升もの大きさの卵を生み落とした。

金蛙は、人間の女が鳥の卵を生むのは不祥であると考え、この卵を馬場に捨てさせたが、たくさんの馬のどれもこれを踏みつぶさなかった。

また山奥に捨ててみたところが、百獣がこぞつてこれを護り、そればかりか、空が曇っているときにも、この卵の上にだけは常に日光があった。

しかたなく卵を母に送り返して養わせたところ、やがてこれが開いて生まれたのが朱蒙であり、彼は生まれながらにして体格がすぐれ、泣き声もなみはずれて大きかった。

そして月もたたぬうちに、 一人前に話ができるようになり、母に向かって、「蠅が日にたかってうるさくて眠ることができませんので、どうかわたしに弓矢を作って下さい」といった。

母がいばらの本で弓矢を作って与えると、朱蒙は紡車の上にとまっている蠅を射て、百発百中射殺した。

・・・なるほどー、ほんとにー、良く似ているなー(棒)。 

それにしても、朱蒙の父親って誰なんだろう、マジメな話。