海幸山幸の「日向神話」は隼人の神話か
山幸彦 + 海幸彦 = 隼人族?
山幸彦を祀る、宮崎県の「青島神社」(2020春参詣)。
「国譲り神話」と「神武東征」の間に位置し、天上界と人間界を繋ぐのが「日向神話」だ。
このうち「山幸・海幸」については定説がある。
「隼人等の始祖」である海幸彦が、皇室の祖・山幸彦と争うものの、海神のパワー「潮盈珠」「潮乾珠」の前に敗北するというストーリーは、隼人族のヤマトへの服属という歴史事実をドラマ化したもの・・・という説だ。
海幸彦がその後、山幸彦に使える「芸人」になったという記述も、都での「隼人舞」や 「狗吠」がそれを表しているのだという。
もちろん、その説自体は正しいのだろう。
だが「日向神話」は、実際には丸ごと全部が隼人の神話だったものを、そっくりヤマトが奪ったのだという説もある。
そもそも山幸彦の「釣り針を失う」というストーリーは、広く東南アジアの海洋民に伝承される物語らしい。つまりは隼人側の神話だ。
なお、失った釣り針を取り戻すといった類似の伝承は、中国南部や東南アジアの一帯にも多く見られる。
たとえばインドネシア南方のチモール島中部には、兄の釣り針をなくして叱られた弟が、水中の王宮に住む鰐の王の喉に刺さっていた釣り針を見つけ、取り戻したという話が伝わっている。
(『古事記の本』学研/2006年)
神話では海幸彦を演じた隼人族が、山に生きる狩猟民でもあったという事実もある。
689年に隼人が朝廷に献上した貢ぎ物は、「牛皮6枚、鹿皮50枚」だったそうだ。
つまり、山幸彦も、海幸彦も、どちらも隼人、合わせて隼人だということだ。
隼人研究の第一人者、中村明蔵さんはこう書かれている。
この神話には隼人の生活を反映した部分が多く描かれており、原話は隼人が伝えてきたものと見られる。
それを、天皇の祖(山幸彦)と隼人の祖 (海幸彦)の話に置き換え、山幸彦が海幸彦を服従させるという、巧みな構成に変えて政治的に造作したものであろう。
(『隼人の実像』中村明蔵/2014年)
コノハナノサクヤヒメも南方系?
天孫ニニギが娶った「火中出産」の鹿葦津姫(またの名は、神吾田津姫。またの名は木花之開耶姫)も、南方系だという。
「産屋で火をたくのは奄美地方にあった海洋民の習俗で、妊婦を温めるとともに悪霊を祓う意味もあります」
宮崎県教育庁文化財課の本郷泰道専門主幹はそう話す。サクヤビメの奇抜な行為には、阿多が受け入れた南方文化の色が濃いという指摘である。
(『神話のなかのヒメたち』産経新聞出版/2018年)
日本書紀「正伝(本文)」には出てこないが、参考文の「一書(あるふみ)」には鹿葦津姫の姉、イワナガヒメの逸話が出てくる。
美しい妹だけ娶り、ブサイクな姉を返品した天孫ニニギ。その子孫(皇統)は、花のように短い寿命になってしまった。
その類似の神話は「バナナ型神話」といって、東南アジアやニューギニアを中心に各地に見られるそうだ。
以上、見ての通りで「日向神話」を構成するほとんどの要素が、そのむかし南洋から黒潮に乗って北上して来た海人族、隼人でなければ持ち得ない神話群だということらしい。
その世界観の上に、隼人とは全く縁もゆかりもない、ヤマトの天孫降臨神話が乗っかってきたというわけだ。
ちなみに中村さんは、鹿葦津姫のまたの名「神吾田津姫」に注目して、「阿多」の山の神、狩猟の神に使える巫女が、コノハナノサクヤヒメの正体だろうと推測されている。
サクヤヒメが浅間神社の主祭神になったのは江戸時代になってからだ。
日向神話とヒメヒコ制
余談になるが、古代の地方には政治形態として、女のシャーマンと男の行政官がセットになった「ヒメヒコ制」が多く見られたようだ。
権威と権力を分割する古い政治システムで、あの邪馬台国もそうだ。
しかし、「日本書紀」が編纂されたのは、天皇を頂点にした強力な中央集権「律令制」が推進されていた時代で、そこから一番遠いのがヒメヒコ制だ。
「日向三代」が山(おおやまつみ)と海(わたつみ)の統治権を政略結婚で手に入れて、それを神武天皇に受け渡すのが「日向神話」の目的だというが、合わせて「神代」の最後でヒメヒコ制を取り込んで、消滅させる意味もあったのかも知れない。
というのも、正伝(本文)にはないが、一書(参考文)の方には、豊玉姫の父親の名を「豊玉彦」と書くくだりもあるからだ。
豊玉姫は、豊玉彦の待つ海に帰っていった。
「日向三代」は、ヒメヒコ制を宮崎の海に捨ててきたのだろう。
「日向神話の神社と聖地 〜神武天皇の旅立ち〜」につづく
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