しぶとく生きてる騎馬民族征服王朝説

(岡正雄の歴史観)

三保松原のタカミムスビのお姫様

三保の松原

日本新三景のひとつ、静岡市清水区の「三保の松原」。 


有名な「羽衣の松」から、北北西に真っ直ぐ500m続く「神の道」を進むと、高皇産霊尊(タカミムスビ)の娘「ミホツヒメ」を祀る式内社「御穂(みほ)神社」があらわれる。 

御穂神社

ミホツヒメは、神宮でアマテラスと相殿している「万幡豊秋津姫命 よろづはたとよあきつひめ」とは姉妹にあたる、VIPだ。


日本書紀の「一書」によれば、出雲のオオクニヌシが高天原に降伏して幽界に隠れたあと、武神フツヌシが地上の掃討戦を行ったとき、帰順してきた神に大物主と事代主がいた。

タカミムスビは、大物主に娘のミホツヒメを娶せて皇孫の守護を命じると、地上に戻してやったという。

騎馬民族説とは?

日本神話の謎がよくわかる本

ところで、日本書紀が「皇祖」と書くタカミムスビを、5世紀ごろに朝鮮半島経由で輸入された、北方ユーラシアの騎馬民族の神である、という説がある(アマテラスの誕生)。

ぼくには、そうした言説の背後には、あの「騎馬民族征服王朝説」があるように思えてならなかった。

四世紀前半ごろ、大陸北方騎馬民族が、南朝鮮を征服支配し、さらにここを飛石として日本列島に侵入し、先住の倭人の国を征服、大和朝廷およびそれをめぐる貴族らの連合体となったという説

(『日本神話の謎がよくわかる本』松前健/2007年から抜粋)

いやいや、でも騎馬民族説なんて学会で否定されて久しいし、一般向けの入門書にだって否定的に書いてあるじゃん?

そんなの、とっくに死滅してるんじゃないの?


ぼくもそう思いたいのは山々なんだが、本隊ではなく別働隊(?)が今も生きながらえて、影響力を保持している気がしてならない。

騎馬民族説は、昭和23年のあるシンポジウムで生まれた説だそうだが、このとき、江上波夫に先んじて、ツングース系民族による日本列島の征服を主張した民俗学者がいた。

岡正雄だ。

10年前まで生きてた騎馬民族説

神道がわかる本

先日、ほんの10年ほど前に出版された入門書をパラパラ眺めていたら、そこでは何と、岡正雄の説がまるで「定説」かのように扱われていて、腰を抜かしかけたことがある。


騎馬民族説が、歴史学で死んでいるのは確かなんだろう、民俗学や神話学ではまだまだ生きている、そんな現状を見せつけられた気がして、ぼくは愕然としたのだった。

タカミムスビ神が天皇家の祖神と考えられる理由は、ほかにもある。それはこの神が、高木の神とも呼ばれる北方シャーマニズム文化に属する神だからだ。  

 民俗学者の岡正雄は、アマテラスとタカミムスビ神話の特徴を以下のようにまとめている(一部抜粋)。


*アマテラスー母権的文化、村落共同体、母権母系母処婚的家族制、日神崇拝、祖先崇拝、アニミズム、農業神や水神への人身供犠もしくはその儀礼伝説。


*タカミムスビー父権的文化、氏族的組織、父権的族長制、軍隊組織、天神信仰、英雄神的祖先崇拝、神が山上または樹上に降下するという宗教的表象。

 

このように両神はきわだった対照を見せているが、天皇家の背後にある文化のルーツが、北方系のタカミムスビに属していることは、はっきりしている(中略)それは、北方的・父権的文化を列島に持ち込んだ天孫族による、古い日本文化の取り込みと同化、支配を意味するものだった。

(『神道がわかる本』学研/2012年)

まず感服させられるのが、岡正雄の空想力(妄想力?)だ。


タカミムスビやアマテラスのキャラなんて、記紀と祝詞、風土記ぐらいしか典拠がないはずなのに、それらから上の設定を読み取るなんてのは、常人の想像力では不可能だ。


ぼくなんかだと、「軍隊」と言われれば完全武装してスサノオを迎え撃ったアマテラスを思い起こすし、問題が起こるとまず周囲に相談するタカミムスビの方が「母権的」なイメージが湧いてしまうが、エラい学者には記紀に書いてないことまで分かるらしい。


・・・なんて皮肉はやめて、率直にぶっちゃけると、上の岡正雄による比較は、「偏見」とか「思い込み」とか「決め付け」の類いだとぼくには思える、正直なところ。


なので、そんな根拠にもならない個人の妄想を元に、「このように」「はっきりしている」と断定できる左翼ライター氏の肝の据わりっぷりにも、感服してしまう。

これを世間では「強弁」とか「ゴリ押し」とか「豪腕」とか言うんだろうか。


他にも「北方シャーマニズム文化」だとか「天孫族」だとか、一体どこで見てきたものやら。

岡正雄の歴史観

日本神話の起源

なお上の引用だけだと、岡正雄が騎馬民族説の片割れだとは分からないと思うので、逸文的な形で、その歴史観を紹介しときたい。

そこで岡氏は、天孫降臨神話が朝鮮半島経由で日本列島に入ったこと、そしてその担い手はアルタイ系の遊牧民文化的要素を強くもっており、おそらく皇室の先祖だったと考えた。

(『日本神話の起源』大林太良/1973年)


岡正雄氏は早くからタカミムスビを主神格とする観念や、天孫降臨神話、および八咫烏や金鵄などの霊鳥の類の助けによって建国が成しとげられたという、神武東征の説話に見られるモチーフなどは、三〜四世紀ごろ、朝鮮半島を経由して渡来した、ユーラシアのステップ地域に起源を持つアルタイ系騎馬民族の文化によって、日本に持ちこまれたものであろうと主張されていた。

(『日本神話の源流』吉田敦彦/1975年)

まとめれば、こうだ。 3〜4世紀ごろ、皇室の先祖の渡来人が列島にやってきて、倭人を征服して王朝をたてた・・・。

もちろん今では、弥生時代から古墳時代にかけての墓制の変遷だけで、完膚なきまでに論破できる妄想にすぎない。


それで、朝鮮半島の支配者層という「人間」の渡来は江上波夫とともに葬られているので、彼らの「神話」だけが渡来した、ってのが溝口睦子先生などの説なんだろう。


「天帝」であるタカミムスビの孫が、地上の支配者となるべく山上に「降臨」してくる神話は、「北方系」の「 アルタイ系」の「騎馬民族」の神話が、朝鮮半島を経由して日本に伝えられた輸入品なんだと。

んー、でも確かに天孫ニニギは山上に降臨してきたが、やったことは絶世の美女(サクヤヒメ)との子作りだけ。

結局はニニギのひ孫の神武天皇が、自ら武器をとり、血を流して奪い取った土地に、ヤマトは建国されている。


神武天皇が「皇孫」だからと敬ってくれたのはニギハヤヒ(物部氏)だけで、むしろ神武天皇こそが「皇孫」であることには何の意味も力もないと、痛感していたんじゃないだろうか。


天孫降臨は朝鮮神話のサルマネか」につづく