鴨・葛城の神社(高鴨・葛木御歳・鴨都波)と出雲のオオクニヌシ
葛城の「高天彦神社」
奈良県御所市、金剛山の中腹で「タカミムスビ(高皇産霊神)」他を祀る、名神大社の「高天彦(たかまひこ)神社」(2023春参詣)。
あの日は、ヒンヤリと冷たい空気と静けさに神々しさを感じていたら、急な雨に降られて慌てて退散する始末に。
ぼくらはどうやら、雲の中にいたらしい。
神武東征の以前から奈良盆地南部に勢力を張り、その後も皇室と双肩する権勢を振るったという「葛城王朝」の存在を主張した歴史学者、鳥越憲三郎さんの『神々と天皇の間』(1970年)によれば、「高天(たかま)」の地名は「高天原」のルーツに他ならず、皇祖神とされるタカミムスビも葛城氏の祖神。
ヤマトはその両方を奪って、自家の神話に取り込んだのだという。
ただ、昨今の考古学の成果からは、葛城地方に皇室に匹敵する「王朝」があったというような見解は、完全に否定されているようだ。
さて、前回はまるごと一冊「大神氏(三輪氏)」の本を読んだので、次は三輪氏と「同族」だと記紀がいう「鴨氏」の本でも・・・と探してみたが、見当たらなかった。
それで、大和国葛上郡(御所市)で鴨氏と共存していたという、葛城氏の本を読んでみた。
最近では葛城氏のことはこの人に聞け、といった感じでよく名前を見かける歴史学者、平林章仁さんの『謎の古代豪族 葛城氏』(2013年)は鴨氏への言及も多く、とても勉強になる本だった。
事代主神の「鴨都波神社」
鴨氏が祖神である「コトシロヌシ」を祀ったのが、御所市の名神大社「鴨都波(かもつば)神社」。
「下鴨社」とも呼ばれてるそうだ。
833年の『令義解』では、「地祇(国つ神)」の代表としてオオモノヌシの「大神(おおみわ)」、倭大国魂の「大倭(おおやまと)」、オオクニヌシの「出雲大汝神」と並んで、「葛木鴨」が挙げられているが、もちろん鴨都波神社のコトシロヌシのことだ。
鴨都波神社は、弥生時代から古墳時代までつづいた「鴨都波遺跡」の上に鎮座していて、西暦2000年の発掘調査では、4世紀前半の鴨氏の首長墓とみられる「鴨都波一号墳」が見つかっているが、これが実に興味深いお墓だったりする。
というのも、鴨都波一号墳は南北20m、東西16mのごく小規模な「方墳」に過ぎないんだが、なぜか副葬品だけはメッチャ豪華で、4面の三角縁神獣鏡を含むそれは「全長50〜100メートルの前方後円墳に匹敵する内容」なんだそうだ(河上邦彦)。
前方後円墳といえば政治性が強くアピールされた墓制だが、どうやら鴨氏は政治には関わらず、主に祭祀に生きた氏族だったようだ。
そこら辺が、弥生時代から住み続けた土地に葛城氏がドカドカ乗り込んできても、共存できた理由だったんだろうか。
ところで平林さんは、コトシロヌシの神話には、美保関の魚釣りや入水とか、ワニ(鮫)と化して女性と交わるとかの「海洋的な性格」が見られるという。
それは、西日本の「水運」や「海運」のネットワークを掌握し、その中心にいることで権勢を振るった葛城氏の下で、じつは鴨氏もその関連業務に従事していたことを表してるのではないか、とのことだ。
阿遅志貴高日子根命の「高鴨神社」
(高鴨神社)
金剛山の東麓に鎮座する、名神大社の「高鴨神社」。
全国の「カモ系」神社の総本社で、地元では「上鴨社」とも呼ばれている。
平林さんは、"標高の高い鴨の社"が社名の由来だろうと書かれている。
祭神のアジスキタカヒコネは、「刀剣をはじめとする貴重な鉄製の利器を神格化した神」で、高鴨神社の南にある「佐味(さび)」地域に居住した「渡来系工人集団」が信仰した神だろうということだ。
彼らは葛城氏の祖「葛城襲津彦(そつひこ)」が新羅から連れ帰った「漢人(あやひと)」の末裔で、その祭儀は鴨氏が担ったのだろうということだ。
御歳神の「葛木御歳神社」
(葛木御歳神社)
「中鴨社」と呼ばれる名神大社の「葛木御歳(みとし)神社」。
平林さんによれば、こちらの神社も渡来系の信仰と深く関わっていたようだ。
葛木御歳神社は、穀物神といわれる「御歳神」の総本社で、律令時代には朝廷でも最も重要な祭祀の一つ「祈年祭」の際に、特別に「白馬・白猪・白鶏」の奉幣を受けていたそうだ。
807年に「斎部(いんべ)広成」が書いた、忌部氏の史書『古語拾遺』にはその起源が書かれていて、せっかくなので平林さんの現代語訳を引用してみる。
むかし神代に、大地主神が田を耕作する日に、牛の宍(肉)を農民にふるまった。
その時、御歳神の子が田に行って、御馳走(宍)に唾をかけて帰り、御歳神に情況を報告した。
御歳神は怒って、イナゴ(稲を食い荒らす害虫)を発生させて田の苗を枯れさせた。
困った大地主神は原因を占ったところ、「御歳神の祟りである。白猪・白馬・白鶏を献じて怒りを解くべきである」との言をえた。
その通りにすると御歳神は、「麻柄・麻葉・天押草(ごまのはぐさ)・烏扇を用いてイナゴを払い除きなさい。それで効果がなければ、牛の宍・男茎形(男根形)・薏子(数珠玉)・蜀椒(山椒)・呉桃(くるみ)葉・塩を田の畔に置けばよい」と語った。
その通りにしたところ、再び豊穣になった。
これが今、神祗官が自猪・白馬・白鶏をお供えして、御歳神をお祭りする起源である。
(『謎の古代豪族 葛城氏』平林章仁/2013年)
平林さんはここから、「本来の」ミトシの祭儀は、中国や新羅で行われていた牛を犠牲(いけにえ)として田に肉を供える「殺牛農耕祭祀」で、白猪・白馬・白鶏を奉るのはその「遺制」ではないかと考察されている。
また、ミトシ神が挙げる植物は「薬用植物」で、これも薬学的知識に長けた渡来系が持ちこんだ物ではないか、ともお考えだ。
話をまとめれば、こうなる。
つまり、祈年祭は、葛城氏の下に定着した渡来系集団のもたらした祭儀と信仰、特に殺牛農耕祭祀に起源し、後に朝廷がそれを取り込んで制度化したものである。
律令政府の重要な恒例国家祭祀の起源が、葛城氏配下の渡来系集団がもたらした信仰と祭儀にあったのである。
(『謎の古代豪族 葛城氏』平林章仁/2013年)
葛城と出雲
(金剛山 写真AC)
以上、平林章仁さんの本から、葛城氏の下で鴨氏が祀った神々をみてきたが、いずれにも葛城氏の権勢の基盤である「水運・海運」や「渡来人」の影響があることが見て取れた。
ところが不思議なことに、記紀神話では「高鴨神社」のアジスキタカヒコネと「鴨都波神社」のコトシロヌシ(と下照姫)はオオクニヌシの御子神に、「葛木御歳神社」のミトシ神はスサノオの御子神にと、それぞれ位置づけられていたりする。
葛城にはオオクニヌシやスサノオの伝承など、何もないのにも関わらずだ。
それに、ミトシ神とコトシロヌシについて言えば、平安時代の「大嘗祭」で新穀が供えられた神だという説もある「御膳(みけつ)八神」の二柱で、出雲ローカルの神だとはとても思えないVIPだ。
アジスキタカヒコネにしても、高鴨神社のほかにも、土佐や陸奥の一宮の主祭神におさまる次元の神格で、"オオクニヌシの御子神"で済まされるような軽い神ではないと思う。
てか、ぶっちゃけ出雲にはコトシロヌシやアジスキを、祖神として祀りつづけてきた人々の痕跡が全くない。
「美保神社」の祭神は「出雲国風土記」によれば「ミホススミ」だし、アジスキを祀る「阿須伎神社」は失礼ながらフツーの「村の鎮守」の佇まいだ。
(阿須伎神社)
誰が出雲と葛城をつなげたか
それじゃー、いつ、誰が、何のために、「出雲」の大国主神(大己貴神)と「葛城」の鴨の神をつなげたのか。
「出雲国造神賀詞」で示されるように、おそらく初めは鴨氏のアジスキタカヒコネとコトシロヌシは、三輪氏のオオモノヌシ(と飛鳥の謎の神カヤナルミ)に繋がっていただけなんだろう。
このオオモノヌシを大己貴神に繋げているのは、古くは日本書紀の「神代」第8段、第6の一書(参考文)だ。
ここには、海を照らして現れた神が自分を大己貴神の「幸魂奇魂」だといい、「日本国」の「三諸山」に住みたいと願うので、大己貴神が神宮を造営したという件が書いてある。
この神が「大三輪の神」で、「甘茂(かも)君」と「大三輪君」の先祖だとも書いてある。
一方、古事記の方にもほぼ同じエピソードが載るが、そちらは大国主神と大物主神が、同じ神の別の魂だとは書いてないし、大国主神が大物主神の宮殿を建てたとも書いてない。
また、日本書紀でも「神代」第9段第2の一書では、大己貴神が幽界に永久に隠れたその後、オオモノヌシはコトシロヌシとともに経津主神(フツヌシ)に帰順したと書いてある。
同じ日本書紀なのに、この一書ではクニとモノは全く別の神だ。
(経津主神を祭る香取神宮)
といった案配で、どうやら日本書紀が編纂された7世紀末から8世紀前半には、オオクニヌシと大物主神の関係には「諸説」あって、ハッキリしない状況になっていたようだ。
ただ、その時代以降も、オオクニヌシとオオモノヌシが同じ神だと言い続けた人が確実に一人いて、それが他でもない、「出雲国造」その人だった。
902年の『延喜式』には、出雲国造が代替わりにあたって天皇に奏上した『出雲国造神賀詞』が収録されているが、そこでは「倭大物主」を「大穴持命」の「和魂」だと言っていて、正史では716〜833年の間に15回、奏上の記録があるんだとか。
(蘇我氏の飛鳥寺)
出雲国造といえば気になるのが、飛鳥時代には大豪族の「蘇我氏」のグループに属していたことか。
古事記によれば、蘇我氏は葛城氏と同じく「建内宿禰」を先祖だとしていて、葛城氏が滅亡した後は、その旧領を推古天皇に望んだものの断られたという話がある。
蘇我氏なら、出雲国造が持っている神話(出雲神話)に葛城の神を接続させることは容易な立場だったろうし、出雲国造も保身として中央の神と繋がるのは吉だったのかも知れない。
ま、もちろん単なる可能性の話でしかないですが。