諏訪大社とミシャグジ

『暗黒神話』のタケミナカタ

暗黒神話

神話時代の、出雲で。

「国譲り」を迫る高天原からの使者タケミカヅチ(建御雷神)に抵抗したのは、オオクニヌシの息子、タケミナカタ(建御名方神)だった。

だがタケミカヅチはあまりにも強く、腕を引きちぎられたタケミナカタは諏訪まで敗走。諏訪から一歩も外に出ないことを約束して、命だけは助けられた。


時は流れ、昭和の長野県、蓼科山中。

父の死の真相を知るために、謎の老人に導かれた洞窟の中で、主人公の武は腕のない巨大な怪物に遭遇する。それは鎖に繋がれて幽閉された、あのタケミナカタの末路だった・・・。


諸星大二郎の名作『暗黒神話』が「少年ジャンプ」に連載されたのは1976年(昭和51年)のこと。

ぼくは「チャンピオン」派だったので当時の記憶はないが、これと『トイレット博士』やら『東大一直線』やらが同時に掲載されていたあたりに、ブレイク間近の「ジャンプ」の底力を感じる。

諏訪大社下社秋宮のプラモデル

タケミナカタと洩矢神

さて、『暗黒神話』では、憐れな敗北者として描かれたタケミナカタだが、諏訪の伝説では話が全くの反対らしい。そこではタケミナカタの方が、強大な侵略者として語られた。


もともと諏訪には「洩矢(もりや)」という「神」がいて、縄文時代からずっと精霊「ミシャグチ」を祀ってきた。

そこに「国譲り」を迫ったのがタケミナカタだった。


以来、勝利者となったタケミナカタの子孫(諏訪氏)は諏訪大社の「大祝」つまりは「現人神」として祀られ、洩矢神の子孫(守矢氏)がその祭祀を司ったという。


ところで一説によると、諏訪で起きた「国譲り」こそが歴史的事実を反映していて、「古事記」のそれはパクり、というかそれにインスパイアされた創作だ、という話もあるそうだ。

諏訪大社で何を拝むか

諏訪大社・上社(本宮)

諏訪大社・上社(本宮)

信濃国一の宮「諏訪大社」。

4つの神社で一つの信仰を形成する珍しいスタイルで、諏訪湖の南にあるのが「上社(本宮と前宮)」、北にあるのが「下社(春宮と秋宮)」だ。


まずは諏訪インターを降りて直ぐの、上社本宮へ。

参拝を済ませ、参道の土産物屋でソバをたぐっていると、晴天なのに突如として雷が鳴り響き、あっという間に豪雨に見舞われた。


傘もないので仕方なく、撮った写真など眺めて時間を潰していると、ふいに奇妙な感触に囚われた。

一体全体、ぼくらはここで何を拝んできたのだろう・・・と。

諏訪上社本宮「案内図」

上社本宮「案内図」の中央部分を貼ってみたが、右下の「入口門」を入って「授与所」の前を左に曲がり、まっすぐ歩くと「参拝所」がある。

ぼくらもここで参拝してきたわけだが、参拝所の先には「拝殿」はあるものの、「本殿」がない・・・。

しかも最重要であろう「神体山」までが参拝所の右手にあって、90度旋回しないと拝むことができない・・・。

諏訪神社七つの謎

わけが分からなくなって読んだのが、『諏訪神社七つの謎』(皆神山すさ/2015年)。

この本によれば、元々は図の「硯石」がご神体の磐座だったので、参拝は「四脚門」あたりから行われたのだろうという。

その後、神仏習合から明治維新までは、「幣殿」の奥に「お鉄塔」なる仏教施設があって、参拝所からはそれを拝んでいたようだ。

お鉄塔ってのは、弘法大師が留学中に知った「南天の鉄塔」を、諏訪に巡錫した際に建てたもの、なんだそうだ。

古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究

この説明は、タケミナカタの後裔と称し、現人神として祀られた諏訪氏「大祝」とは何者だったかを考えるとき、説得力を増す。

『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』(古部族研究会/1975年)によれば、大祝とは「大和朝廷の仏教政策の具現者」だったそうだ。

諏訪地方で最も古い寺「普門寺」が、初代大祝の邸内に建てられたことが、その根拠だという。


諏訪の「国譲り」とは、「せまりくる大和朝廷との融和」のために、先住の守矢氏が選んだ苦渋の選択だったのではないか、とも書いてある。

諏訪の「神」がヤマトの「仏」に、この地の最高位を譲った、という話だろう。

・・・ううむ、なるほど、大祝が「仏教政策の具現者」なら、神社で「お鉄塔」を拝まされるのも、やむないことか・・・と納得しかけたぼくらだったが、いやいや、「お鉄塔」なんて今はどこにも存在してないじゃないか(笑)。


『諏訪神社七つの謎』によれば、それは明治維新の廃仏毀釈で撤去、放置(!)されたとのことで、ホントに諏訪のみなさんが「お鉄塔」を大切に拝んでいたのかどうかは、"諏訪神社八つめの謎"なのかも知れない。

タケミナカタの墳墓か「上社前宮」

諏訪大社・上社(前宮)

諏訪大社・上社(前宮

それでiPadでGoogleマップを開いて、上社本宮の参拝所から"拝めるもの"を探してみたところ・・・、おお、上社「前宮」って、実は本宮参拝所から真っ直ぐ1Kmほど先に鎮座しているじゃないか。


聞けば、前宮はそもそもタケミナカタの墳墓の上に建てられたという説もあれば、大祝の居住地「神殿(ごうどの)」として政治の中心だった場所でもあるとか。


ふむふむ、ぼくらは本宮の参拝所から、タケミナカタのお墓であり大祝の旧邸である前宮を拝んでいたのだなー、諏訪は本当に深いし、複雑だなー。

洩矢神が祀る精霊「ミシャグジ」

・・・などと、またも納得しかけたぼくらだったが、もう一度Googleマップをよく見れば、本宮と前宮の間には、他にも何だか良く知った名前があるぞ。


「御頭御社宮司総社」。


そう、タケミナカタに「国譲り」したという「洩矢神」が祀っていた「御社宮司」、すなわち精霊「ミシャグジ」の総社が、上社本宮と前宮の中間地点に存在している。


こりゃ、一体どういうこと? 

と『諏訪神社七つの謎』をパラパラとめくってみたところ、天正時代(信長とかの時代)に制作されたとする「上社古図前宮」という一枚の絵が目についた。

上社古図前宮

それは、400年以上むかしの上社前宮の絵。

4本の御柱のド真ん中に描かれていたのは「御左口神」、すなわち「ミシャグジ神」だ。


何のことはない。

上社本宮の参拝所から拝めるものは、いずれにしてもミシャグジ神だったということか。


それはタケミナカタが諏訪に入ってくる遙か昔の、縄文時代から諏訪で信仰されてきた、大地の精霊たちのことだ。

結局、ぼくらは知らず知らずのうちに、諏訪の地で最も古い神さまを、諏訪大社の本宮で拝んで来たようだった。


諏訪の安曇族と出雲族」につづく