出雲神話⑧古事記と風土記と日本書紀のスクナヒコナ

〜米子市の粟嶋神社〜

粟嶋神社の少彦名命

粟嶋神社・鳥居

米子市彦名町で「少彦名(スクナヒコナ)命」を祀る、「粟嶋神社」。


鳥居の向こうに見える小山が粟嶋の全体で、江戸末期に埋めたてられて陸続きになる前は、「中海」に浮かぶ小島だったそうだ。


写真の鳥居のあたりが海岸線で、船着場もあったと神社の案内板には書いてあった。

粟嶋神社・図

こちらの「粟嶋」については、伯耆国風土記の「逸文」に、スクナヒコナが常世に旅立った場所として、記録が残っていたようだ。

伯耆国風土記に記すこと。

相見の郡。郡の役所の西北に余戸の里がある。そこに粟嶋がある。

少日子の命が粟をお蒔きになられた時、粟の実が穂一杯に稔って落ちた。

そこで粟柄に乗って弾かれて常世の国までお渡りになった。

それで、粟嶋と名付けているのである。


(『風土記・下』角川ソフィア文庫)

それでおそらくだが、この伯耆国風土記の「粟嶋」と同じネタ元を採用したと思われるのが、正史・日本書紀の第8段・第6の「一書(あるふみ)」だ。

その後、少彦名命は、熊野(松江市八雲町熊野)の御碕に行かれて、そこからとうとう常世郷に去られた。

〔別伝では淡嶋に行かれてそこで粟茎にのぼられたところ、はじかれて常世郷に渡り着かれたという。〕


(『日本書紀・上』中公文庫)

地方の神話や伝承を、中央がどんなかんじで日本書紀に採り入れていったかが垣間見えたようで、面白い。

伊豆国風土記の少彦名

『風土記・下』角川ソフィア文庫

一方、反対に日本書紀(またはその前身)がネタ元になってそうなのが、伊豆国風土記・逸文のこの記述だ。

准后親房の著述で、伊豆国風土記を引用していう。

この国の温泉について、よくよく考えてみると、大昔、天孫が降臨する前、大己貴少彦名とが、我が日本国民が若く死ぬことを憐れんで、初めて薬になる物と効果のある湯泉を定めた。

伊豆国の神の湯もその一つで、箱根の元湯もこれに入る。(以下略)


(『風土記・下』角川ソフィア文庫)

この逸文では、オオクニヌシを「大己貴」、スクナヒコナを「少彦名」と日本書紀と同じ表記を使っている点からも、モロに日本書紀(またはその前身)の影響下にあると思われるが、参照したであろう箇所はココ。

さて、大己貴命少彦名命とは力をあわせ、心を一つにして天下を経営された。

またこの世の青人草と家畜のためには療病の方法を定められ、鳥獣や昆虫の災異を除くために、まじないはらう方法を定められた。

だから百姓(おおみたから)は今に至るまでみなこの神の恩をうけているのである。


(『日本書紀・上』中公文庫)

古事記の「短い」少名毘古那

『日本書紀・上』中公文庫

参照といっても、オオクニヌシとスクナヒコナが「医療」を広めたことに言及してるのは、記紀ではこの部分にしかない。


世間には、日本書紀が因幡や伯耆などを舞台にした「出雲神話」を掲載しなかったことで、それが故意に出雲世界を排除したのだという主張もあるが、ことオオクニヌシとスクナヒコナの「偉業」については、日本書紀の方がしっかり言及している。


古事記の同じ箇所を引用すれば、こうだ。

そこでそれから、大穴牟遅(大国主神の一名)と少名毘古那の二神は一緒にこの国を作り堅めた。

こうしたことがあって後、その少名毘古那神は、常世国に渡った。


(『古事記』角川ソフィア文庫)

・・・み、短い。

つまり、古事記だけしか読んだことがないと、なぜオオクニヌシとスクナヒコナが「医療」に関わる神なのか、理由が全く分からないということだ。


スクナヒコナが、どこからどうやって常世に渡ったかにも、古事記はまるで関心がないようだ。


伯耆の風土記→日本書紀→伊豆の風土記には、バトンリレーのような情報の流れが存在していたと感じられるが、古事記だけはそれらから「独立」、というか「孤立」してるような印象さえある。

スクナヒコナは誰の子か

『古事記』角川ソフィア文庫

スクナヒコナについて、記紀で全く違うといえば、その「親神」もちがう。


いずれも「天つ神」だが、日本書紀ではタカミムスビ、古事記ではカミムスビがスクナヒコナの親神だとされる。


そのうち、古事記のカミムスビについては、スクナヒコナに出会う前からオオクニヌシに関わっていたので、天上界との窓口になっても問題ない。


ヤバいのは、日本書紀のタカミムスビだ。

オオクニヌシがスクナヒコナと出会った直後の、日本書紀の記述はこうだ。

そこでこの小男の様子を不思議に思われて、使を派遣して天神に報告された。

すると高皇産霊尊はそれをお聞きになって、「私の産んだ子神は、全部で千五百はしらあるが、その中に一はしらだけ非常に悪い子で教えに順わない子がいた。おまえの指の間からこぼれ落ちたのはきっと彼だろう。可愛がって育ててくれ」と仰せられた。

これが少彦名命である。


 (『日本書紀・上』中公文庫)

てなかんじでスクナヒコナは、「父」のタカミムスビが公認する形でオオクニヌシの国作りに協力することになったわけだが、講談社文庫版だと、まさにその次のページで、タカミムスビは諸神に地上平定の作戦を諮っているのだ。


天上界を主宰する皇祖神の、この二枚舌・・・。


それでも伝承は伝承だからと、そのまま愚直に記載するのが日本書紀の編集方針なんだろうが、聞く人によっては、オオクニヌシを働かせるだけ働かせて、その実りだけ奪ったヤバい話に思う可能性だってある。


だがこう書き換えてあったとしたら、何の問題もなくなるんじゃないだろうか。

よって大国主神が御母の神産巣日命に申しに、天上界に送り上げたところ、答えて、「これはまさしく我が子です。子たちの中でこの子(少名毘古那神)は、私の手の指の俣から漏れ落ちた子です。だから、あなた葦原色許男命(大国主神の一名)と兄弟となって、あなたの国を作り堅めなさい」と仰せられた。


 (『古事記』角川ソフィア文庫)

カミムスビなら、高天原の政策決定に関与した形跡がないし、八十神に殺されたオオクニヌシを蘇生させた実績もある。

「わが子」スクナヒコナをオオクニヌシに協力させても、その姿勢は一貫しているというわけだ。

ほんと、古事記を書いた人は頭がいい。


だがきっと、そのカミムスビが、国譲りを迫られて窮地に立たされたオオクニヌシに、何の助け船も出さなかったところまでを含めてが、「出雲神話」ということなんだろう。


協力者に見捨てられることほどの絶望感は、他にないと聞くし。



出雲神話⑨佐太神社のサルタヒコと出雲の四大神 〜荒神谷と加茂岩倉 〜」につづく