アマテラスは皇祖神か
(あるいはタカミムスビか)
ハマの守護神、アマテラス
横浜市西区にある「伊勢山皇大神宮」(2019年末参詣)。
質素に見える本殿は、先の式年遷宮で解体された伊勢神宮の旧西宝殿を、そっくりそのまま移築したものだという。
結構な厚遇だと思うが、明治3年に創建された当社が、もともと一種の国策で作られたからだろう。
開港したばかりで、移住者、ヨソ者の集まりだった横浜の住人は、伊勢山皇大神宮の祭事を通じて「横浜市民」にまとまっていったと、神社の公式サイトには書いてある。
外来の神との対決もあった。
寒村だった横浜に、にわかに南蛮人やら紅毛人やらがウヨウヨしはじめ、漁民や農民に一気に動揺が走ったそうだ。彼らの不安を鎮めて外来の神に打ち勝つには、わが国最強の霊力を持ってくるしかない!
こうして皇室の祖神アマテラス(天照大神)の分霊が、「はまっ子」の守護神として伊勢山の高台から横浜港を見下ろすことになったわけだが、その奇蹟は数年前に、ぼくらも目の当たりにしたもんだ。
今上陛下が即位を宣言すると、それまで降っていた雨がやんで空に虹が架かるなんて、マンガでもチープ過ぎる表現なのに、現実に起こるとあれほどの感動を呼ぶとは、ホント長生きはするものだ。
さすがに今上陛下に自由に天候を操作できる霊力が備わってるとは考えにくいので、あれはやはり大嘗祭に向けて皇居にお出ましになったアマテラスからのプレゼントだろうと、ぼくは涙ながらに思ったものだった。
外来の神①(横浜関帝廟)
大嘗祭にいないアマテラス
ところが!!
そんなアマテラスを、もともとの皇祖神ではない、と考える説があるという。
『古事記外伝』(藤巻一保/2011年)によればアマテラスはもともとは伊勢地方の海人族(あまぞく)の神であり、皇室の祖神はタカミムスビ(高皇産霊尊)という神さまだという。
もちろん、根拠はちゃんと示されている。
記憶に新しい「大嘗祭」だが、新しく即位した天皇にとって一代で一回しかない最重要な宮中祭祀だ。
始まりは天武・持統の時代と言うから、西暦で700年ごろ。
ところが大嘗祭の祭神をアマテラスだとしている「古代」の記録はひとつもなく、1212年の『後鳥羽院宸記』でようやく現れるものらしい。
この500年ものブランクからは、「アマテラスを祭神とする考えそのものが、後世の発想だったことをうかかがわせる」と『古事記外伝』にはある。
また、「月次祭(つきなみさい)」という、毎年の宮中祭祀としては新嘗祭(にいなめさい)に並ぶ重要行事がある。
その祝詞では最初に「宮中八神」に祈りが捧げられるが、そこにもアマテラスの名前はないという。
アマテラスへの祈りは、ずっと後ろにまわされている。
八神につづくのは、井戸の神、斎場の柴の神、竈の灰の神、門の神など宮廷の施設を護る神々だ。
さらに、生く国・足る国の国土の神(八十島神)に感謝と守護の祈りが捧げられたあと、ようやく「伊勢に坐す天照らす大御神」への祝詞という順番になっている。
この序列は、どうみても低すぎる。
(「真の天皇家の祖神タカミムスヒ」)
外来の神②(横浜海岸教会)
『古事記外伝』から結論だけ抜けば、「月次祭」の祝詞のアマテラスの部分は「後世の付け足し」だということだ。
そして、大嘗祭における「御膳八神」と月次祭の「宮中八神」にさまざまな検証を加えていくと、最終的に絞り込まれる「天皇の守護神中の守護神であり、もっと重んじられてきた本来の祖神」はタカミムスビ以外には考えにくい。
・・・とのことだ。
ちなみに、多くの研究者が「記紀」のなかでも最も古い伝承だろうという「日本書紀」の「正伝(本文)」を、「皇祖」で検索したとき、最初にでてくる文章はこれ。
天照大神の御子、正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊は、高皇産霊尊の女の栲幡千千姫を娶って、天津彦彦火瓊瓊杵尊を生まれた。
そこで皇祖の高皇産霊尊は格別に可愛がられ、ついにこの皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて葦原中国の君主としようと思われた。
(『日本書紀・上』中公文庫)
ここだけ読むと、「皇祖」というのはタカミムスビだけのことで、天照大神は「娘婿」の母、といった趣きさえある・・・。
むろん、信仰と学問は別の話だし、仮にアマテラスが単独の皇祖神になったのが平安時代初頭だったとしても、すでに1200年以上の歴史と実績がある。
それに、そんな昔に「トップ」を女性に入れ替えた大和朝廷のセンスは、誠に先進的だと感動さえ覚える。
※日本書紀でも、神武天皇は天照大神を「皇祖」と呼んでいる。
ただし、「顕斎(うつしいわい)」という祭事で、自らが憑り代となって降ろした神は、高皇産霊尊だった。
《追記》 松前健さんの説
神話学者の松前健さんも、アマテラスは本来の皇祖神ではなかったと主張されている。
藤巻さんと重複する点もあるが、ご著書から何点か抜粋すると、以下。
○確実な記録の上で、実際にアマテラスを宮廷で祭ったことは奈良時代までなかった。
○アマテラスは延喜式の祝詞にもほとんど出てこない。出てきても皇祖神ではなく「伊勢にいます神」と呼ばれる。
○伊勢神宮のご神体(=アマテラス)の「八咫鏡」に特別な祭祀が行われるようになったのは、平安時代初期から。
○皇室にとって最重要な「践祚大嘗祭」で、アマテラスを祭ったという古い記録はない。
(『日本神話の謎がよくわかる本』2007年)