古事記の出雲の神々の「死と再生」

〜コトシロヌシとサルタヒコ〜

「黄泉比良坂」と「千引の岩」

黄泉比良坂

松江市東出雲町の「黄泉比良坂(よもつひらさか)」。

古事記の中で、黄泉の国とこの世との境界とされた場所だ。

奥にはイザナギが、腐った死体となった妻イザナミを封印した「千引の岩」もあった。

静かで、不気味な場所だった。

古事記の他の箇所では、「根の堅州国」からの出口が、黄泉比良坂だというシーンもある。

揖夜神社の「荒神社」

揖夜神社の「荒神社」

同じく東出雲町の「揖夜(いや)神社」の境内にあった、「荒神社」。

なにやらワラで作られた蛇だか龍だかが木に巻き付けられていて、周辺には無数の幣束が地面に突き刺してあった。

何かの呪いか? それとも邪教・異教の類いか? 


気味が悪いので遠巻きに眺めていると、地元の人らしい夫婦が足早に走り寄っていって、また一本、新たな幣帛を突き刺していったのだった。


・・・こ、怖い。

そういえば、出雲には「死者」となった神を祀る神社が多いような気がする・・・。

ここ、揖夜神社だって、古事記では「腐った死体」になったイザナミが主祭神じゃないか。

美保神社「青柴垣(あおふしがき)神事」

美保神社

松江市の「美保神社」が祀るのは"オオクニヌシの息子"、コトシロヌシだ。


古事記では、ヤマトの使者に「国譲り」を迫られたコトシロヌシは、「天の逆手」を打つと青柴垣に中に隠れた(死んだ)という。

だがこの「天の逆手」は、相手を呪う行為だという説があるのだ(『伊勢物語』)。


美保神社で行われる「青柴垣神事」も、コトシロヌシの「入水」の場面を表すもの、すなわち「お葬式」だとする見方がある。

コトシロヌシがこの世に化けて出てこないように、繰り返し繰り返し、その死の再現劇を見せつけているんだろうか。

佐太神社の「神等去出(からさで)祭」

佐太神社

松江市の「佐太神社」。

こちらの主祭神は、古事記で天孫ニニギを地上に導いたといわれる「サルタヒコ」だ。

古事記によれば、天孫降臨の大仕事を終えて故郷に戻ったサルタヒコは、「阿邪訶(あざか)」の海に漁に出たとき、ヒラブ貝に手を挟まれて溺死してしまったという。


佐太神社では11月末に「神等去出(からさで)祭」といって、佐太の神そのものと見なされる「神籬(ひもろぎ)」を、海に送り出す神事を行っている。

それは佐太の神が常世に帰る祭りだとも、神の「葬儀」であるとも、解されているんだそうだ。


・・・コトシロヌシとサルタヒコ。

両者はともに不吉な死に方をし、その後も毎年毎年、繰り返して「葬儀」が行われている神なんだろうか。

結界に呪術的に封じ込められた、かなりヤバい神様たちなんだろうか・・・。

出雲の「死と再生」

揖屋神社

揖屋神社

ま、もちろん違うわけ(笑)。

まず「揖夜神社」で見た「荒神祭」は、農耕の神に収穫の感謝を捧げる、この地方独特のほのぼのとした民間信仰だそうだ。

本件は、荒神にその年の農作物の収穫を感謝する行事で、主に収穫後の11月から12月を中心に行われる。

(略)巨大な藁蛇と大量の幣束を製作し、荒神を祀った木に藁蛇を巻きつけたり、石などに藁蛇を供え、その周囲や藁蛇に幣束を刺すことが多くの地域で見られるとともに、翌年の豊凶を占ったり、藁蛇を隠したりといった多様な形態をもって伝承されている。

(「出雲・伯耆の荒神祭」Weblio辞書)

美保神社の青柴垣神事も、一度洋上に出た「当屋(コトシロヌシ)」は再び神社に戻り、そこで復活を遂げる。

「美保の関」公式サイトによれば、それは「コトシロヌシの再生物語」であり、さらには「神霊を更新する意味合いをもち、豊作を祝う春祭り」であるともいう。

(『日本の神々7 山陰』)


サルタヒコも同様だ。

海に流されたサルタヒコ(正しくは佐太御子大神)は、自分が生まれた常世の海で霊力を回復し、春に穀物霊となって帰ってくる。

佐太神社の神事は一年を通して農耕と結びついていて、「神等去出祭」は繰り返される神事の一部に過ぎないのだそうだ。

(『出雲大社』千家尊統/1968年)


要するに、出雲に何らかの暗さを感じるのは、そこが古事記で「根之堅洲國」といわれた「死者の国」という先入観があるせいなんだろう。

でもそれは本当なんだろうか。

根の国=ニライカナイ

ニライカナイ

「根の国」を暗い地底にある国ではなく、ましてや死者の住む黄泉の国でもなく、沖縄信仰の「ニライカナイ」と同根の明るい世界だと主張する人もいる。

民俗学の巨人、柳田國男だ。

ここで根というのは勿論地下ではなく、たとえば日本の前代に大和島根、もしくは富士の高根というネと同じく、またこの島で宗家をモトドコロ或いはネドコロともいったように、いわば出発点とも中心点とも解すべきものであって、

(中略)島々の上代を詠した詞曲の中に、しばしばくりかえされていた神の故郷、ニライもしくはニルヤと呼ぶ海上の霊地の名は、多分は我々の根の国のネと、同じ言葉の次々の変化であろうと思う。

(『海上の道』柳田國男/1952年)

むろん、あの出雲大社のオオクニヌシも、同じことなんだろう。


室町時代の『大日本国一宮記』には全国67社の「一の宮」の祭神が記載されているが、うちオオクニヌシ本人を祀る一の宮は11社。

妻や子といったファミリーを祀る一の宮が9社ある。

67社中で、20社がオオクニヌシファミリーを祀ってるという計算だ。北は福島から南は宮崎まで、佐渡や隠岐といった離島もある。

戦前は、樺太や台湾でもオオクニヌシが祀られた。


こんなオオクニヌシに「暗さ」があるとは考えにくい。オオクニヌシの魂はこの日本いっぱいに広がって、今も昔も多くの信仰を集めているということだ。