アマテラスの相殿神と高倉山古墳

(伊勢の水銀と紡績の神)

内宮の天手力男神と万幡豊秋津姫命

皇大神宮の正宮

写真は、皇大神宮の「正宮」。 

ぼくら一般人が撮影を許されているのはココ(階段下)までなので、みんな同じような写真を持ち帰るのだろう。


さすがに平日でも参拝客が結構いて、ぼくは混んでいる中央を避けて左の隅っこから手を合わせてきた。そして思った。この位置からだと、天照大神は拝めてないんだろうなと。


ぼくらはニワカなので行くまで知らなかったが、天下の皇大神宮「正宮」で祀られてるのは、アマテラスだけではない。他に二柱の神さまが「相殿(あいどの)神」として同居している。


アマテラスの左にいるのは「天手力男神(タヂカラオ)」で、天の岩戸からアマテラスを引っ張りだした力持ちの神。


右は「万幡豊秋津姫命(よろづはたとよあきつひめ)」で、アマテラスの長男と結婚して天孫ニニギを生んだタカミムスビの娘。

アマテラスから見れば、息子の「ヨメ」だ。

シンポジウム伊勢神宮

それにしても、なぜ「相殿」?

気になって、その場で「延喜式神名帳」など調べてみたが、記紀神話でセリフがあるようなビッグネームは大概が「一座」だった。


例えばオオクニヌシ杵築大社、オオモノヌシ大神神社、タケミカヅチ鹿島神宮、フツヌシ香取神宮などだ。


一方、皇大神宮は「大神宮 三座(相殿坐神二座)」とあるので、延喜式が編纂された927年の時点で、もう相殿神が同居していたようだ。 

んー、なぜにアマテラスだけシェアハウス?


答えを求めて本を漁って、見つけたのが『シンポジウム伊勢神宮』(1993年)。 

この中で、歴史学者の和田萃(あつむ)先生がおっしゃるには、相殿の二柱は古代伊勢の「地場産業」の神ではないか、ということだった。

伊勢水銀とタヂカラオ

佐那神社

写真は三重県多気郡の「佐那(さな)神社」で、タヂカラオを祀る。


古事記にも、天孫降臨に従ったタヂカラオは「佐那々県の佐奈神社に鎮座」と書いてあるので、多分ここが本社なんだろう。


佐奈の地は、神宮から西に10キロほど行った伊勢平野のドン突きで、そこから先は紀伊山地というロケーションだ。

 

和田先生によれば古代、この地の代表的な産業が「水銀」の採掘だったそうだ。「伊勢水銀」といったらブランド品で、あの奈良の大仏さんの塗金にも使われた可能性が高いらしい。


この伊勢の水銀採掘に従事した人たちが祀った神が、力持ちのタヂカラオのようだ。

伊勢の紡績と万幡豊秋津姫命

荒妙奉織と和妙奉織の写真(神服機織神社)

もう一人の「万幡豊秋津姫命」は名前に「よろずはた」とあるように、「紡績」に関わる氏族の神だろうと和田先生はおっしゃる。


古代、伊勢から尾張三河は「麻」の特産地で、松阪市の「機殿(はたどの)神社」などは皇大神宮の重要行事、「神衣祭(かんみそのまつり)」に供える衣類を担当してきたそうだ。

「麻績(おみ)氏」という有力氏族の存在もある。


ということなので、和田説が正しいのなら、ぼくらが正宮に手を合わせるとき、それは天照大神と一緒に、古代伊勢の在地氏族が祀った神々にも手を合わせている・・・そういうことになるようだ。

正宮の御垣内のサルタヒコ

サルタヒコ考

そういえば、正宮の板垣の内には、ぼくら一般人からは見えない位置に祀られてる有名な神さまもい

サルタヒコだ。


飯田道夫さんの『サルタヒコ考』によれば、正宮の御垣内に祀られる「興玉おきたま神」は、鎌倉時代の外宮の経典「倭姫命世記」には「猿田彦大神是也」と書いてあって、伊勢神宮は公式に猿田彦を伊勢の「地主神」として敬ってきたとのことだ。


猿田彦を氏神とする宇治土公うじとこ氏が、元々は「磯部」という海人族だったので、本来は「稲田の神」である猿田彦を、伊勢神宮が「海人の神」だと混同してあるいは故意に習合して沖魂の神」として祀ったのではないか、というようなことが飯田さんの本には書いてあった。


さて、だんだんとアマテラスの周りが賑やかになってきた。

左には「水銀」の神、右には「はた織り」の神、後ろに控えるのは「沖魂興玉」の神だ。

アマテラスは伊勢土着の神か?

宇治橋

ところで昔からの議論に、伊勢神宮のアマテラスは皇室の祖神を宮廷から伊勢に遷したのではなくて、もともと伊勢で祀られていた土着の神を「昇格」させて、皇祖神に仕立てたのだ、という説がある。


ちゃんとした根拠も多数あって、奈良時代までアマテラスを宮中で祀った証拠がないこと、「延喜式祝詞」にアマテラスがほとんど出てこないこと、古い大嘗祭でアマテラスを祀った形跡がないことなど、いくらでも挙げられるようだ。


でも、だからといって伊勢の土着神を昇格させただけってのは、何か違うような気がしないでもない。

というのも伊勢には他に、皇室の縁者に「昇格」させられた神がいそうだからだ。

外宮を見下ろす高倉山古墳

外宮がふもとに鎮座する高倉山には、頂上に古墳がある。 

6世紀末〜7世紀初頭に築造された大型の円墳で、蘇我馬子のお墓として知られる「石舞台古墳」とは、時期も規模も似たような感じらしい。


だけどもしも、外宮で祀られているのが皇室にとって重要な、アマテラスの食事係「 豊受(トヨウケ)」だった場合、それを見下ろすような「不敬」な山頂に、お墓をつくるなんて可能なもんだろうか。


それで歴史学者の岡田精司氏は、外宮はもともとは伊勢最大の豪族、「度会(わたらい)」氏が、その氏神を祀った場所ではないかと言われる(『神社の古代史』1985年) 。


むろん「高倉山古墳」も、その頃の度会氏の当主のお墓だろう。


となると、元々は伊勢土着の「度会氏の氏神」がアマテラスのお世話係をしていたが、後にトヨウケに入れ替えられたことにならないか。

つまり「昇格」した土着の神とは外宮の神の方で、正宮のアマテラスではないのではないか。


正宮の中に三柱も伊勢土着の神が祀られていて、そのうえ外宮にも土着の神、さらには内宮のアマテラス自身もって・・・。


ぼくには、いくらなんでも「土着の神」が多すぎる気がする。


伊勢神宮と道教〜太一・心御柱・天皇霊〜」につづく


【関連記事】

・外宮のトヨウケについては丹後「元伊勢」の豊受神


・4世紀のアマテラスについては「神功皇后と「倭の女王(卑弥呼)」〜神功皇后と「天照大神」〜」を