南宮大社、多度大社の鉄の神
〜金山彦命・天目一箇神〜
南宮大社
2021年春に参詣した、美濃国一の宮「南宮大社」。
最寄り駅はJR東海道線「垂井」で、次が「関ヶ原」だと聞けば、たいていの男子には場所の見当がつくだろう。
ぼくらはレンタカーで行ったが、愛知県では吹いてなかった風が強くて、高速道路の高架とか、かなり怖かった。
ご祭神は、鉄など金属の神さま「金山彦」。
神武天皇の東征で、土地の土豪・ナガスネヒコに苦戦する天皇の弓に「金鵄(きんし)」が飛来して、敵兵を幻惑させたシーンがあるが、あれを遣わしたのが金山彦だと、社伝にはあるそうだ。
日本書紀の「一書(参考文)」によれば金山彦は、イザナミが火の神「軻遇突智(かぐつち)」を生むときに吐いたゲロが神になったものなんだとか。
きたねー話だが、次に生まれた水の神「罔象女」はイザナミの小便から、その次の土の神「埴山姫」は大便から生まれたんだというから、他も似たり寄ったりだ。
子供に聞かせたらキャーキャー言って喜びそうなネタだが、日本書紀はいたってマジメだ。
このあとの「一書」で木の神が生まれたことと合わせて、これらの神は古代中国の「五行思想」に基づいて構想されたものだという説がある。
五行とは「万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなる」という思想だ。
そしてそのことから日本書紀のこの部分は、7世紀代に中国思想を積極的に取り入れた後の時期に書かれたものだ、と分かるんだそうだ。
そんな面白い話が書いてあるのは、神道家の真弓常忠さんの著書『古代の鉄と神々』(1985年)。
まぁ、名著オブ名著ズの一冊で、読もう読もうと思って今回ようやく読んでみたが、やっぱり名著は面白い。
今さらではあるが、特に感心させられたのがオオクニヌシの件だ。
まず真弓さんは、オオクニヌシ=大穴持の「穴」は普遍的、一般的なものだろうと考えた。
砂鉄による精錬ではまず「鉄砂」をふくむ山を選ぶことから始まるが、その山を「鉄穴山(かなやま)」といい、砂鉄を採る作業を「鉄穴(かんな)流し」といい、そこで働く人を「鉄穴師(かなじ)」と呼ぶ。
そこから色々な考察が始まって、真弓さんが辿り着いた結論は、大穴持とは「偉大な鉄穴の貴人」すなわち「産鉄の神」だというもの。
なるほど鉄の神なら、オオクニヌシが日本のありとあらゆる場所で祭られていても不思議ではない。
ただ、4世紀末から5世紀にかけて「韓鍛冶」が渡来して製鉄が専業化していくと、農業と産鉄を兼ねたオオクニヌシが象徴する文化は埋没していき、製鉄に特化した神が必要になってきた。
そこで構想されたのが、南宮大社ご祭神の金山彦だろうと、真弓さんはいわれる。
農具になる木を削るための鉄片を作る時代は、もう終わった。鉄そのものが農具であり武具である、新時代の神が金山彦だろうということだ。
多度大社
天目一箇神とは要するに「一つ目小僧」で知られる製鉄のタタラ炉のホト穴より、熔鉄の状態を視つめて、隻眼となった鍛冶職を神格化した名である。
(『古代の鉄と神々』)
南宮大社でも多度大社でも風が強かった記憶があるが、もしかしたら当たり前のことだったのかもしれない。
砂鉄を原料にしたタタラ炉以前の製鉄は、褐鉄鉱(かってっこう)の団塊「スズ」を原料にした「露天タタラ」で行われていたそうで、そこでは自然風が利用され たという。
「スズ」は「沼沢や湿原に生える葦・薦・茅のような植物の根に、沈殿した水酸化鉄が、鉄バクテリアの自己増殖によって固い外殻を形成した」もの。
こいつは銅を熔解するより低温の、700〜800度で鍛造することができたそうだが、日本書紀に書かれた「倭姫命(やまとひめ)」の「巡幸」は、この「スズ」を求めた旅路ではなかったかと、真弓さんは書かれている。
日本書紀によれば垂仁天皇25年、というから長浜浩明さんの計算だと西暦253年ごろ。
すでに皇居を離れて「笠縫邑」で祀られていたアマテラスの安住の地を探すべく、ヤマトヒメの「巡幸」が始まった。
日本書紀には、ルートは宇陀から近江、美濃、そして伊勢だと記録されているが、伊勢神宮に伝わる文書『皇大神宮儀式帳』には、より詳細な記録が残されているそうだ。
それが上の地図の破線のルート。
ご苦労なことに真弓さんは、ヤマトヒメが滞在したとされる宮の場所を全て踏査されたそうだ。
そして「巡幸地」が、いずれも古代の産鉄地であることを確認された。
んで、ここからが面白いんだが、「巡幸地」はいずれも褐鉄鉱が「スズなり」になる河流・湖沼の水辺であり、「鉄穴流し」による砂鉄採取よりも、古い段階の産鉄地だったことが分かったそうだ。
つまり、製鉄技術の進歩という視点からは、伊勢神宮の創祀は日本書紀が伝えるとおりに、3世紀の垂仁天皇の時代でいいのではないか、と真弓さんは言われるわけだ。
これは日本書紀には「おおむね」史実が書いてあると思うぼくらとしたら、まことに心強い援軍だ。
津島神社
「津島信仰」の総本社として、スサノオ (牛頭天王)を祀る「津島神社」。
真弓さんによれば、スサノオも鉄にまつわる神さまだとされる。 が、その点は正直ちょっと得心できなかった。
そもそもスサノオが鉄の神だと、オオクニヌシ(大穴持)とキャラがダブってしまう。
スサノオの息子、 イタケルが鉄の神というのもチト強引すぎるような・・・。
たしかにぼくらも出雲でイタケルを祀る「 韓国伊太氐(イタテ)神社 」などは見てきた。 名前の通りで、渡来系の韓鍛冶が拝んだ神さまなんだろう。
ただ「イタテ神」を祀る神社の祭神がイタケルになったのは、ぼくは明治政府の方針によったものではないかと思う。
あの時代、日本書紀のイタケルが樹木の神だというので、横浜市の「杉山神社」なども杉の「木」つながりだけで祭神をイタケルに決められたんだそうだ。
イタテ神社も、名前が似てるというだけの理由で祭神をイタケルにしたケースが、結構あったのではないかと想像する。
(揖屋神社の本殿の脇に、ちょこなんと鎮座する韓国伊太氐神社)
神武天皇と鉄?
ところで神武東征で誅された賊に、紀伊の女酋「名草戸畔(なぐさとべ)」がいる。
真弓さんは「名草」はスズの生る「菜草」だと考え、このエピソードはスズによる古い製鉄が、新しい製鉄に凌駕されることを意味していて、おそらく神武天皇は砂鉄を採取する技術を有していたのだろうと推測される。
これは面白い!
もちろん、それじゃあ垂仁天皇時代のヤマトヒメの旅は何だったのよ?という声は分かる。
あるいは、砂鉄から作った鉄はスズ製のように朽ち果てないので、もしも存在したなら発掘されているはずでは?という声も、分かる。
でも、東征における神武天皇の優位とは何だったのかを考えるとき、真弓説は一つのヒントになり得るんじゃないかと、ぼくは思う。