淡路のイザナギ、熊野のイザナミ

(アジアの海人族の神)

淡路島の伊弉諾神宮

伊弉諾神宮

淡路島の「伊弉諾神宮」を参詣したのは、2020年8月のこと。


日本書紀によれば、こちらは「国生み」の偉業を終えたイザナギの「幽宮(かくれのみや)」とのことで、日本初の「お墓」になるんだろうか。

現在の伊弉諾神宮の本殿は、そのイザナギの陵墓とされる円墳のうえに建ってるんだそうだ。


さてイザナギといえば「国生み神話」に伴侶のイザナミとともに登場する神さまで、成人の日本人ならまず知らない人はいないだろう。


だが、その神はどこから来たかというと、ぼくらもてっきり中国発の「陰陽二元論」に基づく観念的な神かと思ってたところ、どうやらもっと日本社会の「古層」にリアルに存在した神らしい。

伊弉諾神宮大鳥居

というのも戦後に躍進した文化人類学や神話学のフィールドワークは、イザナギ・イザナミの「国生み神話」のルーツを、古代から広くアジアの漁労民に共有されてきた「洪水型兄妹始祖神話」だと探り当てているというのだ。


つまりイザナミ・イザナギは、縄文の昔に南洋から渡って来た「海人(あま)族」の神だろうと。


ちなみに、兄と妹の間にできた子(ヒルコ)が不具者だったという神話なども、台湾や東南アジアや中国南部などにも残されていて、アジアの海人族に普遍的なものなんだそうだ。

(『日本神話の源流』吉田敦彦/1975年)


逆にいえば、イザナギ・イザナミ、ヒルコの神話から、日本列島に限定された話題は引き出せないということだろう。

神話学者・松前健さんの説

日本の神々

そんな「古層」の神、イザナギ・イザナミだが、イザナギが「皇祖神アマテラス」の神にされた時代は案外遅くて、7世紀中葉以降に「国生み神話」と一緒に朝廷に取り込まれたと、神話学者の松前健さんが書いている。


それまでのイザナギは、淡路島のローカルな「島の神」に過ぎなかったんだという話だ

以下は名著からの抜粋。

『日本書紀』履中天皇5年(404年)の記事に、天皇が淡路島に狩猟を行ったところ、おつきの飼部たちの黥(いれずみ)が、施したばかりなので、血なまぐさく、それをきらって「島に居ますイザナキノ神」が祝(神職)に憑り移って託宣を下した。

そこで卜占をし、神意を知り、それ以来、飼部の黥を禁じることになったという。

ここではイザナギは単に「島に居る神」とだけ記されていて、皇室にゆかりの深い神であるという印象はない

(中略)

履中・反正に続く允恭帝の14年に、帝の淡路遊猟のとき、島の神(たぶんイザナギ)が祟りをし、託宣をして「明石の海底にある真珠を採ってわれを祭れ」と告げたので、海人ヲサシが命をかけて採ってくる有名な話がある。

5世紀前半ごろまでは、イザナギはまだ単なる「島の神」で、海人の真珠を欲しがる海洋神であり、ローカルな神であったらしい。

(中略)

この二尊は、古くは宮廷には祀られていなかったし、皇祖神の親神でもなかった

淡路の大社でさえ、『三代実録』貞観元年(859年)の条に、無品勲八等から一品にと、神階を進められたのが、初見である。

(『日本の神々』松前健/1974年)

熊野の花の窟神社

花の窟

ぼくらが三重県熊野市有馬町の「花の窟(いわや)神社」を訪れたのは、2021年5月のこと。


熊野地方には、古来からの崇敬神として「熊野夫須美(ふすみ)神」なる神さまが想定されていて、「夫須美」は「結び・産び」が転じた"万物を産みだした母神"だとして、「熊野三山」全てで祭神の一柱として祀られている。


また、熊野三山では昭和44年当時、熊野本宮大社の「 揚げ花(御田祭)」、熊野速玉大社の「御船祭」、熊野那智大社の「火祭り」と、三山すべてで熊野夫須美神を「お迎へする形の祭典」を執り行っていたと、那智大社宮司の篠原四郎さんが、著書『熊野大社』(1969年)に書かれている。。


いずれも熊野における、熊野夫須美神の重要さが良く分かる話だ。

花の窟参道

そんな熊野夫須美神の"万物を産みだした母神"のイメージが転じたものが、いま「花の窟神社」で主祭神に祀られているイザナミだという。


神社のご神体である巨石は、洋上からの目印(アテ山)として、熊野の漁民の守り神であり続けてきたんだそうだ。


そんな「花の窟」がイザナミの墓所だという根拠は、日本書紀にある。

伊弉冉尊は火の神を生まれた際やけどをして神さりたもうた。そこで紀伊国の熊野の有馬に葬り申し上げた。

この国の土俗に、この神の魂を祭るには、花の季節には花を供えかざって祭る。

また鼓やふえを鳴らし、幡や旗をかざって歌い舞って祭る。

(『日本書紀』神代第5段の一書)

記紀でちがうイザナギ・イザナミの墓所

日本書紀(上)

さてこうして見ると、イザナギ・イザナミが日本社会の「古層」ともいえる海人族の記憶から生まれた神で、いまも「淡路」と「熊野」という海で繋がった場所で祀られているのは、ごく自然な成り行きだと思えるわけだが、それは日本書紀だけの話。


「記紀」と並び称される「古事記」の方では、イザナギの墓所は滋賀県の「淡海(近江)の多賀」で、イザナミの墓所は島根県の「出雲と伯伎(伯耆)の境の比婆山」と、海や海人族とはまるで関係なければ、およそ夫婦とは思えないほど離れた場所に葬られたことになっている。


この点に限らず、実は日本書紀と古事記には相違点が多い。

そのせいではないようだが、古事記には昔から「偽書」だという説もあるようだ。


古事記には「偽書」説があるらしい」につづく