『アマテラスの誕生』溝口睦子

  〜 皇祖神タカミムスビと朝鮮建国神話  〜 

皇祖タカミムスビは「外来の神」か

皇祖タカミムスビは、5世紀ごろに高句麗から輸入した「外来の神」だという説は、果たして本当なんだろうか。


まずお断りしておきたいが、ぼくは神話学の先生方の言われる「日本神話と朝鮮神話の類似性」の全てに文句があるわけじゃない。明らかに似ている点は、おおー似ているなぁーと、素直に認めている。

溝口先生のご本についても8割方は理解できたし納得もできた。


ただ一点、理解も納得もできないのが、皇祖タカミムスビが5世紀ごろに高句麗から輸入された「外来の神」だという主張。 

そしてその「外来の神」が日本土着の神とは別個に存在して、「二元構造」をなしているのが「日本神話」の世界観だと、溝口先生はおっしゃる。


もうちょっと詳しく書くと、弥生時代までの日本人の世界観は、「ニライカナイ」や「常世の国」などに見られる「海」を基軸にしてヨコに広がる世界観で多神教的だったが、ここに5世紀ごろ、朝鮮半島経由で「天」を基軸にしたタテに展開する北方ユーラシア文化が追加された。

後者は絶対神・至高神的な世界観で、日本土着の文化とは完全に「異質」なものだった。

こうして日本神話は二元化されて、天と地を自由に行き来する「天つ神」と、地上をウロウロする「国つ神」が両立するようになった・・・。


といったかんじの話が、溝口先生の説明だ。 

なるほど、一見すると分かりやすい。


だが、その二元構造論の根拠になってるのが「高句麗の建国神話との相似性」だと言われると、ぼくは、んんんー?と首をかしげざるを得ない。

別の記事で比較したように、日本と高句麗の建国神話は『ドラクエ』と『ファミスタ』ほどは違わないが、『ドラクエ』 と『桃鉄』ぐらいにしか似ていない。


聞けば、高句麗の建国神話が記載されてるのは『三国史記』と『三国遺事』以外にもあるようだが、溝口先生は、日本と高句麗の両神話は「全体の枠組み」も「細部」も「きわめてよく似ている」とおっしゃるのだから、どれとどれを比較しても大体は似ている状態じゃないと、根拠にはならないだろう。

朝鮮神話への中国の影響

チベット仏教王伝

特に、溝口説でぼくがピンと来ないのは、タカミムスビや天孫降臨といったタテ軸の世界観はあくまで「北方ユーラシア」から高句麗経由で渡来したもので、当時の超大国、中国の思想や世界観とは全く異なるものだ、というご主張だ。


いや、でも北方ユーラシアも高句麗も中国とは地続きなわけで、そこから全く影響を受けないなんてことが有るもんだろうか。

実際、高句麗からは中国の向こう側に当たる「チベット」にも、地上の支配者が「天」から来たという神話がある。

それも、北方ユーラシアから中国をジャンプして伝播したというんだろうか。

黄土を拓いた人びと

それにそもそも、中国だって最古の王朝「 殷」の正統性は、最高神「上帝」の直系子孫であることだったと、別の本には書いてある。

つまり、殷の王は「天子」だってことだ。


ただ、天子(天孫)カード?を最初に「殷」が使っちゃったので、次の「周」からは「天命」カードしか切れなくなったという話だ。

血縁はないが有徳の人物が、天から地上を委任されるってのが「天命」カードだ。


となると、高句麗の建国神話が「天帝の子」カードを切れたのは、それがその地の最初の王朝だったからじゃないか。

もしも高句麗に王朝交替があったなら、次の王朝は(天子降臨ではなく)周と同じように「天命」を受けたんじゃないか。

もしも次の王朝まで「天帝の子」を主張すれば、両者はただの「血縁」になってしまい、「革命」にはならないからだ。

「創世神話」のない朝鮮神話

史記

ところで高句麗には、414年に建てられたという石碑「好太王碑」があって、建国の始祖王の出自が「天」にあることが冒頭に書かれている。 

いわく、高句麗王は「天帝の子で、母は河の神の娘である(天帝乃子母河伯女郎)」のだと。


これを溝口先生は「先祖である始祖朱蒙の出自が、天に由来することを誇り高く謳っているのである」と謳い上げるわけだが、ここでぼくが気になるのが、石碑で「天帝」とか「河伯」という単語が、何の説明もなく唐突に使われていることだ。


なぜ説明がいらないのか。

それはそれが当時、誰もが知ってた言葉だからじゃないか。


「河伯」については、好太王碑文より500年も昔に書かれた『史記』(司馬遷)に「黄河の神」として登場する。その神さまをそのまま使ったなら、碑文でいちいち説明する必要がない。

だったら高句麗の建国神話とは、中国の歴史観や世界観の「内部」に、存在していることになるんじゃないか。


そういえば、高句麗だけでなく新羅にも百済にも「建国神話」はあるが、「創世神話」はないという。

それはきっと、当時の朝鮮半島に住む人たちが、世界の起源について考える必要がなかったからだろう。

彼らは生まれたときから中国史の一部なんだから、自明の前提として、中国製の創世神話を受け入れればいいわけだ。

中国思想と日本神話

てな具合にぼくなどは、高句麗だろうが北方ユーラシアだろうがチベットだろうが、中国の周辺国はみな程度の差こそあれ中華王朝の影響を受けているのが当たり前だと思うわけだが、溝口先生は日本神話の「天孫降臨」は「中国の天命思想や天子観とはまったく異なる」と断言されている。

その根拠は3つだ。


(根拠その1) 

中国では「天」と「太陽」または「日月」は区別されるが、高句麗や北方ユーラシアでは混同されるという違いがある。 

日本でも『日本書紀』の顕宗天皇の記事で、「日神」と「月神」がタカミムスビを「我が祖タカミムスビ」と呼んだことから、三者が一体の関係だと考えられる。

(ぼくの感想) 

『日本書紀』で「日神」「月神」を検索すると、アマテラスとツクヨミのことしかヒットしない。

漠然とした天体「天」「太陽」「月」の概念が混同されてるんじゃなくて、単に3人の神の関係が述べられてるのが「顕宗紀」なのでは?


(根拠その2) 

北方ユーラシアの「突厥」や「モンゴル」では王の先祖が鍛冶屋だったという始祖伝承があるが、日本でも『日本書紀』の顕宗天皇の記事に、タカミムスビが「天地を鎔造した」と明記されていて、鍛冶伝承を共有している。

(ぼくの感想) 

ん?高句麗はどこに行ったんだろう。 もしかして、高句麗には鍛冶伝承はないんだろうか。


(根拠その3) 

中国では「天命」を受けた有徳の為政者が天子になるが、朝鮮半島や北方ユーラシアでは血縁者が天子になる。日本でも、天孫ニニギはタカミムスビの実の孫で血縁者だ。

(ぼくの感想)

タカミムスビは「皇祖」だが「天帝」ではないと思われる。 

それと中国でも最初の王朝「殷」の王さまは「上帝」の血縁者だったわけで、王朝交替後は(肉親以外の)別の説明が必要になっただけなんじゃないだろうか。

それが「天命」だったんじゃないだろうか。

天武天皇と中国思想

天皇の本

ところで「天孫降臨」を含む日本の建国神話が語られる「日本書紀」は、高句麗が滅んだあとの7世紀後半(681年?)に天武天皇の命令で編纂が始まったとされる。

この天武天皇と持統天皇が、道教、風水、神仙といった中国思想に精通していたのは有名な話だ。


なぜ「天子」降臨じゃなくて「天孫」降臨なのかの理由として、持統女帝が息子の「草壁皇子」を飛ばして、孫の「文武天皇」に皇位を与えた史実の投影だ・・・という説が有力視されてるように、日本書紀には天武・持統の影響が濃厚に及ぼされているという。


ならばそこに、道教や風水や神仙などの中国思想の影響がないというのも、逆に不自然な気がしないでもない。


また、古代日本人にとって、実は道教は遠く離れた異国の思想というわけでもなかったようだ。

西暦248年に没したといわれる邪馬台国の卑弥呼は、「鬼道を事とし、能く衆を惑はし」と『魏志倭人伝』にあるが、当時「鬼道」とは道教のことを指したと、名著『日本神話』(上田正昭)には書いてある。


・・・んんん、やっぱり「天孫降臨」には中国思想の影響があるような気がする。 

だとすれば、タカミムスビが高句麗からの「外来の神」だという話は、ぼくには一面的で乱暴な議論に思えてならない(そもそも神話も似ていない)。

古代日本人のタテ軸とヨコ軸

それと溝口先生は、弥生時代までの日本人には海を基軸にした水平方向の世界観しかなかったように言われるけど、それも正直、納得できない。

もしも元から日本人にタテ軸の世界観があったとしたら、タカミムスビも天孫降臨も、その文脈の中で生まれてきた観念ってことでも、良いことにならないか。

諏訪大社の「御柱」

諏訪大社の「御柱」。

直接の関係があるのかは定かでないようだが、諏訪地方には縄文時代から続く民間信仰として、「ミシャグジ神」の存在がよく知られている。

この神についての専門書の説明はこうだ。

<ミシャグジ>の祀られている所には必ず古樹が茂り、その木の根元には祠があり、御神体として石棒が納められているというのが最も典型的な<ミシャグジ>のあり方であるという。

(中略)湛木は神の降りる勧請木、石棒は 神の宿る降臨石であったのではないかと想像できる。

(『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』古部族研究会)

来宮神社

なるほど、諏訪では古来、神は高い木に降りるのか。


あるいは熱海の「来宮神社」。

こちら樹齢2000年以上という巨大なクスノキで有名だが、御由緒をみれば「古代においては此の樟へ神の御霊をお招きしてお祀りして」「 ひもろぎ神社であった」と書いてる。

これって「天と地」の、タテ軸を意識した信仰じゃないだろうか。

真脇遺跡(能登町観光ガイド)

真脇遺跡(能登町観光ガイド)

三内丸山遺跡(写真AC)

名著と名高い『アマテラスの誕生』(筑紫申真)には、日本中のどこの村でも昔から「天つカミ」を祀ってきたが、それは「天空に住んでいると信ぜられた霊魂で、大空の自然現象そのもののたましい」だと書いてある。

そんなら「天つカミ」は縄文の昔から、何度となく降臨してきたということなんじゃないだろうか。


それに考えてみれば、二元構造とはいうものの、海から来るヨコ方向は「常態」で、天から降りるタテ方向は天孫ニニギの「一回きり」というのは、何だかアンバランスだ。

ただし、タテ方向を、内陸の農耕民が「天つカミ」を迎えるお祭りだと考えれば、「常態」になってバランスが取れてくる。


つまりヨコ方向は、日本の「海人(あま)の文化」、タテ方向は(土地に縛られる)日本の「農耕民の文化」だと考えれば、タテヨコは対立する二元構造とかじゃなくて、縄文時代からずっと続く、二つの日本人の生活スタイルに過ぎないことになってくる・・・。


さて、それじゃあ結局、「天孫降臨神話」とは何なのか。

私はこの話の原形というのは、むしろ農耕神話だと思っています。

タカミムスビのムスビは「産霊」という字を書きますから、このタカミムスビは農耕の神、つまり生産の神だったのではないかと思います。


ですから、この天孫降臨の神話というのは元来、生産の神であるタカミムスビが、若々しい稲魂の神ホノニニギノミコトに稲の穂を持たせて地上につかわし、人間の世界に稲作農耕が始まったという古代の収穫祭の由来話、つまり古代の収穫祭は「新嘗祭」といいますから、新嘗祭の縁起譚です。


(『日本の神話と古代信仰』松前健/1984年の講演より)

タカミムスビの別名は「高木大神」。


宮廷の農耕祭祀で祀られた神で、「後世の田の神の祭りにみられる、田の水口に立てられた神木」と同じものだと、神話学者の松前健さんは書かれている。

「決して騎馬民族の奉じる天神ではありません」とも。