西暦209年頃、崇神天皇、疫病に悩まされる
(天照大神と倭大国魂)
元伊勢、檜原神社
2020年末に参詣した、奈良県桜井市の「檜原(ひばら)神社」。
「元伊勢」として知られていて、皇室の祖神・天照大神をお祀りする。本殿も拝殿もなくて、本社の「大神神社」と同じ三ツ鳥居から、神体山の三輪山を拝む。
こちらが「元伊勢」と呼ばれるのは、歴史上のある時期、この場所(推定)に天照大神を祀っていたことがあるからだ。
その後、いろいろあって(倭姫命伊勢へ)現在のように伊勢に移られたわけだが、じゃあ「元伊勢」の前はどこにいたかと言えば、もちろん天皇の住まう「皇居」だ。
そもそも、天皇が皇居で天照大神をお祀りすることには、何の不思議もない。ご先祖なんだから、当たり前のことだろう。
ところがある事件をきっかけに、皇祖神は皇居の外の、「元伊勢」に出されてしまった。
これは不思議だ。
その経緯は、わが国の正史・日本書紀によれば、以下の通り。
崇神天皇の疫病対策
崇神天皇5年(長浜浩明さんの計算だと西暦209年ごろ)、大和ではかつてない「疫病」が蔓延した。何と人口の半分が死んだというから、大惨事だ。
さらに翌6年には農民が流離したり、反逆したりで、社会情勢は悪化する一方だった。
このとき崇神天皇が打った手が、原文で「先是」つまり「これ以前から」、皇居内で祀ってきた天照大神を、皇居の外に出すことだった。
もちろん、日本書紀には「その神の勢いを畏れ、共に住むには不安があった」としか書いてない。だが、第5代の孝昭天皇から200年近く続けてきた(※)という皇居での祭祀を、いきなり停止するには相当な理由があるはずだ。
(※)は「大倭神社註進状」による(『大和の古社』乾健治)。
アマテラスと倭大国魂神
実はこの時、アマテラスとともに皇居から外に出された神が、もう一柱いた。「倭大国魂(やまとおおくにたま)」という神さまだ。
上の写真は、現在、倭大国魂を祀る天理市の「大和(おおやまと)神社」。トップクラスの格式を誇る古社だが、何より戦艦大和の艦内神社として有名だ。
んで、とにかく疫病対策を急ぐ崇神天皇は、天照大神と倭大国魂に、それぞれ自分の皇女をつけて皇居から外に出した。しかし、ここでまた事件発生だ。
皇女・豊鍬入姫の手で「元伊勢」で祀られた天照大神の方には問題がなかったが、倭大国魂を担当した渟名城入姫の方は、髪は抜け落ち、体はやせ細りで、祭祀の続行が困難になってしまったのだ。
大物主神(オオモノヌシ)登場
弱り果てた崇神天皇は、7年、占いによって疫病の原因を探ろうと試みる。すると何ということか、「大物主神(オオモノヌシ)」が神がかりして現れて、自分が疫病の主犯だと言うじゃないか。
聞けば、どうやら自分が自分の子孫に祀られていないことが不満だったようで、崇神天皇が大物主の言う「わが子」大田田根子(おおたたねこ)を探しだして祭主として祀らせると、疫病はあっさり収まってしまったのだった。
そしてこの時、倭大国魂の方の問題も解決した。
あわせて指名された市磯長尾市(いちしながおち)なる人物を祭主に据えたところ、すっかりご機嫌を直してくれたのだった。
日本書紀に具体的に書いてあるわけじゃないが、わざわざ併記してあるんだから、こちらも自分の子孫による祭祀を望んでいたのだろう。なお、気の毒な皇女に頭髪が戻ってきたのかは不明だ。
皇居に戻らぬアマテラス
こうして大和に平和が戻ってきた。いずれの神の場合も、不満解消の鍵になったのは、実の子孫による祖神の祭祀だった。
だったら、天皇が皇居で皇祖神を祀ることには何のネックもないし、今後は推奨されることのはず、だった。
しかし天照大神が皇居に戻ってくることはなかったし、それどころか、祭主を引き継いだ倭姫(やまとひめ)は、天照大神を抱えてはじめは宇陀に、それから近江に、さらに美濃にと、ぜんぜん落ち着けない。
これは不思議だ。倭姫は、いったい何を探して回っていたんだろう。
それとも天照大神を祀るべき本当の子孫が、天皇や倭姫の他にいるとでも言うんだろうか。
崇神天皇、疫病を「解決」する につづく